年齢に関係なく相手に敬意を持って接するという事
Publish2014/10/10(金)
Update2021/03/05(金)
今日はいつも僕が頭の片隅においている、「謙虚さを大切にしよう」という考え方のひとつでもある「年齢に関係なく相手には敬意を持って接するようにしよう」という事について書きます。
結構前から同じ事は思っているので、過去にも似たような事を書いておりますけれども、その辺は華麗にスルーしてください(といいつつリンクは貼っておく)
過去に書いた似たような記事
過去の成功体験が成長を鈍化させる
いつも敬語で話している理由
さて本題です。
僕に直接あった事がある人は薄々感じているかも知れませんが、僕は基本的に人と話す時には敬語で話しています。
ある程度仲良くなったとしても、酔っぱらっている時以外は基本的にタメ口でしゃべるという事はありません。
(酔っている時には…ごめんなさいという時もあります。)
これは相手が年上でも年下でも基本的に変わりません。
極端な例をいうなら、近所の小学生相手でも敬語を使う事があります。
これには理由があって、タメ口でしゃべるもしくは上から目線でしゃべるような口調があまり好きではないという事もありますが、そういうしゃべり方をする事で、相手に対する心配りがなくなってしまいそうになる自分への戒めでもあります。
僕は基本的に調子に乗りやすいタイプなので、おだてられたら浮かれたりもするくらいポリシーがふわふわです。
その結果、調子に乗って相手を思いやる気持ちを忘れたりする事も過去にあり、これはいかんということで気をつけるように心がけています。
人の魅力や経験は年齢に比例しない
相手に対しては基本的に真摯に対応したいです。
その背景には、「人の魅力や経験は年齢に比例しない」と思っている事があります。
過去に魚市場で、「年を重ねているのにすごくない人」や「堕落した人」を見てきた事もバックグラウンドにはありますが、基本的に人の魅力は年齢と相対関係にないと思っています。
楽しい事を話せる人は若くても面白いですし、歳を取っているから素敵な人間になっているという事もないでしょう。
年齢を重ねる事で人としての経験を重ねて人間力が高まるという事も知ってはいますが、その伸び代もその人が本来持っているものによるところが大きいです。
また、年が若いとやはり経験が不足しているのではないかという考え方もありますが、そんなのは当然です。
絶対的な重ねてきた時間が違うので、生きている時間が長い人の方がより多くの経験を積んでいるというのは当たり前の話です。
ただ、経験の数と経験の質は比例しないと思っています。
ただ漫然と何十年も生きている人と、一生懸命勉強を重ねて他の人がしないような、できないような経験を数年積んだ人では、おそらく後者の方が魅力的な人である可能性が高いです。
若いからといって、その人が過ごしてきた時間が自分のそれと異なる事は当然なので、自分が経験していない事や知らない事を知っている可能性も大いにあります。
その経験を得るチャンスを、不要な固定概念や変なプライドで失うというのも滑稽な話です。
決め付けや思い込みはいい結果を生まないので、ちゃんと相手を見てきちんと接する事が自分にとってもかけがえのない経験になると心に刻んで生きていきたいものです。
追記:歳を重ねれば重ねるほど、この考え方は大切だなと最近特に思う。
前述のように、相手に対して年齢とは関係なく敬意を持って接するように心がけていますが、世の中にはそう考えない人も多く、少しでもそういう素振りを見せれば特に年下の人からすると警戒感を持たれてしまうと思っています。
これは、ある程度歳をとったからわかるということでもないですが、歳を重ねるごとになぜかえらそうにする人の比率が上がってきます。
本人はその意志がなくても、なんとなくえらそうな感じになっていたり、上から目線で話すような感じの人は多いんです。
そういった背景から、特に年下の人から「あのおっさんえらそうやな」と思われる可能性が年々上昇しているということです。
これが個人的にはかなりこれからを左右すると思うんですが、仕事上関係が増えていく人は、これから間違いなく年下である可能性のほうが高いわけです。
信頼関係を築いていきたいと思っているのに、相手から距離を取られて警戒されているようでは信頼関係は築けません。
この部分が死活問題になる可能性もあるので、相手から警戒されないようにするためにも、相手には真摯に対応して、きちんと意思の疎通が問題なくはかれ、信頼関係が築ける人という感じにしていきたいなと思っています。
人に対しておおらかで、優しいイメージのおっさんになっていきたいと思います。