受託案件を自分の「作品」と思っていたら駄目だよなと思う話。
Publish2014/12/03(水)
先日あるブログを見ていて、「これはないなー」と思ってもやもやしていたので、そのもやもやをFacebookに書きました。
普段はこういう系統の事に対して何かを言ったりするという事は極力しないようにしているのですが、あまりにもあれなのでこっちにも書いておきます。
ちなみに、あまりにもあれと言っておきながら、今回の記事は怒りに任せて書いているわけではありません。
書いている人をdisるつもりもありませんが、考え方として自分とは相容れないものがあるなと思ったので書いております。
その点を鑑みた上で読んでいただければ。
あと、この話は「webサイトの制作を受託している人の場合」です。
他業種の場合ではこの限りではないと思う部分もあります。
受託した案件の成果物は自分の「作品」ではないだろう
その記事で書いてあった中で自分の中でどうしても許せないというか、それはないわと思った考えたがあります。
それがこれ。
そして自分が徹夜して作り上げた自信満々の作品が、クライアントのよく分からない言い分で却下されたときの苦悩は半端ではない。
お客さんから駄目出しされたことを愚痴る部分は、心情としては分からない部分ではないのです。
一生懸命考えて作ったのに、その理由も考えずに却下されるという経験はこういう仕事ではつきものですし。
ただ、そこにはコミュニケーション不足などの他の問題や原因があったりするので、そういう事を考える必要はありますが。
今回の場合、全くもって違うと思うのは成果物を自分の作品と言っちゃってる部分です。
まず考えれば分かりますが、お客さんがいて依頼を受けてサイトを作っている場合であれば、作成したサイトはお客さんのものですよね。
そして、その成果物はお客さんがWebで叶えたい目的を達成するために作られた物であるはずです。
著作権とかの問題はありますが、前提としては依頼がなければ成立しないわけなので、「自分の作品」って言い切っちゃうのはいかがなものかなと。
お客さんから依頼される際に、作者の作品として世に出すという前提や契約であれば話は違いますが、そういう事も書いてないですしそういう事ではないのでしょう。
作品を作りたいのであれば、自分のサイトなりを作ればいいと思います。
受託でお客さんの希望を叶える前提であれば、自分の作品という考えにもならないでしょう。
そういう意味では、この記事を書いた人はもう少し仕事でサイトを作るということがどういう事なのかを考えたほうがいいと思います。
僕が思うには、受託という形で仕事をするのであれば、依頼主の要望に応える成果を出すという事をまず考えないといけないと思っています。
もちろんその先に、依頼主のサイトを使うユーザー(依頼主のお客様)の使いやすさや体験をデザインするという事も必要でしょう。
要するに「誰かのため」であって、「自分のため」ではないはずです。
発注する際の選定基準にその相手が「作品」という表現をしたら危険のサイン
そして、これはお客さん側からみると、もっと問題が深刻だと思うんです。
自分たちの成果を出すための手段であるはずのWebサイトを発注したら、発注先が自分の作品だと言い出したりしているわけなので、「何を言っているんですか?」と素で突っ込みたくなる事案だと思います。
お金を出して作品を作ってもらうのであれば、パトロンだと思うんですよね。
多くの場合はそうではないでしょう。
ここで発想を切り替えて、発注側から制作者を選定する際の基準として過去の実績を「作品」と呼ぶかどうかでフィルタリングできるのではないでしょうか。
後々のトラブルを回避する意味でも、完成後の成功の可能性の意味でも、制作者の占めるウェイトは大きいと思います。
「作品」という表現をする人が作ったものに対するスタンスが、どういうものかを評価する際の指標になるかと思います。
今回の記事を読んで改めて考えていたのは、きっと制作者の「自分の作品」というスタンスが依頼者にも伝わっていること、制作者の好みになっている成果物になっていることなどが原因で、その結果却下されているというような事ではないでしょうか。
なんにせよ、目先の事ばかり見ているとこういう事になるんじゃないかなと思いますし、受託というお仕事に対してもう少し突っ込んで考えてみる事が必要だと思います。