どうして車を運転中に電話をする人が減らないのかを考えてみた。
Publish2015/09/04(金)
今日は、仕事のことということではなく人の行動原理というか、これってなんで一向に広まらないんだろうとかその辺の心理状態とかを考えてみたいと思います。
というのも、以前から結構気にはなっていたんですが車の運転中に電話をする人ってまだまだめっちゃ多いんですよね。
僕の住んでいる大阪ではという前提で考えておりますので、もしかしたら他の地域はそうではないかもしれません。
そこは前提という事でお願いします。
車の運転中に電話をする事は法律違反
まず、そもそもの話ですが車の運転中に電話をする事は法律で禁止されていることで、違反すると罰則があります。
平成16年の道路交通法改正で携帯電話使用の罰則が強化されたようで、運転中に電話をしていたら反則で2点と罰金9000円が普通車の場合の罰則となっています。
ここで重要なのは、車の運転中に電話をすること自体が禁止されている行為であるという前提です。
しちゃダメって言われているのに、何故するのかというのが今回考えることです。
法律違反になっているということを知らないのかも?
まず考えたのは、もしかしたら運転中の電話は法律違反だということを知らないという可能性です。
知らないから対応していないということは考えられますが、罰則が強化されたのが平成16年なので、すでに10年経っているわけです。
ゴールド免許の更新でも2回は免許の更新があり、そこでも罰則のことを触れているはずなので、普通に考えると免許を持っている時点で「知らない」というのは考えにくいですし、「知らなかった」では通らないですね。
ということを考えると、現在の時点で運転中に電話をしている人は「故意に」しているということになります。
法律違反をしてまでも電話がしたいのかという疑問
そう考えると、電話をする人は「法律を犯してでも電話がしたい」ということになります。
そこまでして電話がしたいのかというとそうでもないと思うので、多分そんなに悪いことだと思ってなかったりしている人がほとんどだと思います。
罪の大きさの解釈の違いはあれど、「悪いこと」だと自覚しながらしているわけで、ちょっと悪質だとは思うんですよね。
おそらくは運転中に電話がかかってきたからつい取ってしまったとか、急ぎの用件だったので仕方なく電話に出たとかそういうことだとは思うんですが、携帯電話にはドライブモードもあるので、ドライブモードにしてないという時点でどうなんだろうと思うところもあります。
最悪のケースを考えよう
僕がこういうことを書こうと思ったきっかけは、電話をしながら運転している人の運転する車が結構危ない運転をしていることが多くて怖いなと思っているのが一番の理由です。
そもそもの話をすれば、なぜ車の運転中に電話をすることが法律違反になっているのかということを考えれば一目瞭然です。
運転中に電話をすれば運転に必要な集中力が削がれ、危険な運転をする確率が高くなるから、それが原因で事故が発生しやすくなるから禁止されたんだと思うんです。(法律制定の過程は把握してないので推測になりますが…)
最悪の場合、事故で他人や自分の命が失われることもあるでしょう。
「電話をしなければそうならなかったのに」と後悔する前に、未然に防ぐという意味でも法律で禁止されているはずです。
そう考えると、やはり車の運転中に電話をするべきではないと思うんですよね。
自分本位な考えが根底にある
そして、上でも触れたようにそもそも「運転中に電話をする」ということの罪の意識が薄いということもあるでしょう。
「ばれなければいいや」とか、「自分は運転に自信があるから大丈夫」みたいな利己的で主観的な理由もあるかもしれませんね。
いづれにしても、とても利己的な考えがその根底になるような気がしてなりません。
昨日電車で移動中に考えてたんですが、人は自分のことを「特別な人」でありたいと思っていると思うんです。
「自分は特別」「自分は人とは違う」というような選民思想のようなものを少なからず持っているのは悪いことではないと思うんですが、その考え方の悪い面が発露しているのが今回テーマにあげた「車の運転中に電話をする」という行為で出てきているなと思ったんです。
法律で禁止されている行為なわけですし、それによって迷惑になる人もいるでしょう。
そう考えると、やはり車の運転中に電話をするべきではないですね。
どうしても電話しないといけないのであれば、路肩に止めるとかコンビニの駐車場にいったん止まるとか、何かしらの解決策はあると思います。
世の中から運転中に電話をすることがなくなることは難しいかもしれませんが、個々人が「それはしてはいけないことだ」と心に刻んでおくことが運転中の電話がなくなるために最も大切な事なんじゃないかなとおいうのが、今回の僕としての結論です。
性善説に基づく考えなので、現実的ではないかもしれませんが、それでもそう思って生きていきたいなと思っています。