そろそろ本格的に「英語苦手なんで…てへへ」とかいってる場合じゃないと思う
Publish2014/09/24(水)
タイトルがけっこう煽り気味ですが、ずいぶん前からひしひしと感じていた事が最近特に目の前にある感じがするので書いておきます。
以下は別に誰かを非難したりするつもりではありませんので、以下を読んで何か思うところがある人はなんとかしていきましょう。
英語はスタートライン
まず、僕がWebの事を色々しているせいもあって英語とちゃんと向き合わんとまずいと思っている事は前提としてありますが、世界に目を向けて考える際に英語ができるという事がどういう意味を持つのかを考えてみましょう。
多くの人は「英語ができたら海外でも活躍できる」と考えているのではないかなと思うのですがどうでしょうか?
僕はそうは思いません。
僕が思うに「英語ができる」事は当然で、そこはただのスタートラインでしかないと思っています。
分かりやすいように日本で考えてみると、日本語がしゃべれない人に日本語しか分からない人が一緒に仕事をしようと思うと思いますか?
ちょっと考えたら分かると思いますが、例外を除けば言葉が通じない人と何かを一緒にやろうという気持ちがわくはずはないですよね。
言葉は通じて当たり前で、そこができていなければスタートラインにすら立ってないわけです。
英語ができないとこれからすぐ先にも困る時代が来てる
で、こういう事を書くと「日本に住んでるから日本語だけできればそれでいい」という人がいます。
まあ、言いたい気持ちも分かりますが近い将来そんな悠長な事をいってられるでしょうか。
日本人が日本という市場だけで成立できる時代はすでに終わりが見えていると考えた方がいいと思うんですよね。
理由として一番大きなのは、少子高齢化と人口減少です。
これはデータが総務省からも出ているので見れば分かりますけど、これから先は少ない労働力で高齢者を支える社会になりますし、人口自体も減ります。
少子高齢化・人口減少社会
人口が減れば、マーケットとしての価値も下がるので現状を維持する事はできなくなります。
経済面だけ考えてみてもこれから先に国内需要のみでやっていくというのは無理があります。
という事は、好む好まざるに関わらず海外と接点を持つ事になるという事です。
さらに言うなら海外の人とやり取りをしないといけないわけで、英語ができなきゃ話にならんという事になるでしょう。
これは個人がどうこうできるような問題ではなく、時代の流れで考えられる順当な未来だと思うんですよね。
であれば、苦手とかいってる場合ではなくて、やっとかないと生き残れない事だと思うわけです。
慣れ親しんだ日本語に愛着を持つのと英語を毛嫌いしたり苦手意識を持つ事は別問題
ということで、これからはきっと英語は今の日本人における日本語と同じくできて当然なものになっていくでしょう。
これは時代の流れなんですが、そうなった時に日本語に慣れ親しんでいるが故英語を毛嫌いしたり苦手意識を引きずる人が出てくるかと思います。
日本語に愛着を持つのはいい事ですし、自分の生まれ育った文化や風習に敬意を払う事は大切な事ですが、それとこれとをごっちゃにしないようにしないといけないんじゃないかなと思います。
これから先に生き残る為にも、そういう心構えが必要だなと月曜の電車内で大学生らしき人たちの会話を聞いていて思いましたという話でした。