人の性格や考え方はブログの文章から伝わる。自分が思っているよりきっと。
Publish2016/02/03(水)
今日はブログの文章について書きます。
僕が以前から「文章に汚い言葉を使わないようにしよう」とか「ネガティブなことを書かないほうがいい」というようなことを書いていたのも同じ理由ですが、ブログの文章って自分で思っているよりも人に与える印象が強くて、かつ「めちゃ自分ぽい感じ」が出ていることがあります。
性格や考え方を伝える手段としてのブログ
僕のこのブログでもそうですが、ブログを書くということは基本的に外に対して自分が思っていることや感じたこと、知ってもらいたいことを書いています。
ただの日記であれば人に読んでもらう必要ないですし、公開する時点で「誰かに読んでもらう」ことが前提になっていますので。
その時に、どうやって文章を書くかということが今回のポイントですが、文章は自分の考え方や思いをベースにして自分の頭の中の辞書から出てきた言葉が紡ぎ出されたものだと僕は思っています。
そのため、自分が思っているよりも自分の考え方や性格が文章には強く反映されます。
これを意識的に行う場合もありますが、そこまで考えずに文章を書いていると自分の考えや経験が色濃く反映された文章になります。
自分で書いていると普通だと思うことも、人からすると「この人ってこういう考え方をする人なんだ」ということがわかったりするわけです。
その性質があるので、性格や考え方をわかってもらいたいという場合はすごくブログは便利です。
人のイメージを構成する要素としての接触機会
しかし、このブログのいい面は時としてマイナス方向に働く場合があります。
それは自分のことを知らない人がブログを読んだときに感じるイメージや、普段めったに会わないけどブログはいつも見ているというような関係性の場合です。
僕の場合で説明しますが、普段あまり合わない人や知らない人がどういう人なのかを知る(というか無自覚で認識するといた方が正しいかもしれない)時というのは、その人の書く文章や言葉の使い方や選び方をすごく印象として強く持ってしまいます。
人の記憶は曖昧なので、「あの人ってどんな性格だったけ」ということを思い出せるのはある程度親密にならないとわからないと思うんです。
でも、普段から親密にできる人の数は限られてますので、多くの人は「いつどこでどういうタイミングで接触する機会があったのか」によって印象が大きく変わってきます。
そう考えると、僕のように普段ブログばっかり書いている人はブログの内容で僕自身の印象が変わってくるということでもあるわけです。
漏れている自分の本音
さて、ここまで書いてあることに気付いた人もいるかと思いますが、自分で無自覚に選んでいる言葉や文章には自分の本音が隠れている場合があります。
自分としては普通という前提で書いていれば当然「このくらいは普通」と思っていることを書くことに抵抗がないからです。
しかし、その言葉が人によっては結構衝撃が強かったりする場合があるんです。
僕も何度かブログのことでお会いした人と話していることがあるんですが、自分では隠していたつもりの本音が「あれってこういうことでしょ?」とバレている場合があるんです。
後でその文章を読み返してみると、自分としてはなんということがない言い回しで書いていたことが、話の流れで見たら違う形で見えることがあるわけです。
隠しているつもりで書いていたことが全然隠せてなかったということです。
これは自分自身の文章力のなさによる部分も大きいわけですが、「ここをそんな風に考えるとは思わなかった」という思い込みをしていることも原因だったりするわけです。
まとめ
文章は人のイメージを決定づける大きな理由の一つにもなる大切な要素です。
思っているよりも自分の本音が入っているものだということをわかっておくと読み返した時に「これは書きなおしとこう」と思える点に気付きやすくなるので、そういうものだということを理解して読み返すようにすることが大切です。