ポケモンの歴史から「時代の変化に対応する」ということを改めて考えてみる
Publish2019/12/06(金)
今回は趣味から考察シリーズの一環で、仕事をする上で大切な「時代の変化に対応する」というのはどういうことなのかをポケモンを通して考えてみようと思います。
今回ポケモンでと書いてますが、今回のポケモンはアニメやカードゲームではなくゲームソフトのポケモンについての話です。
今回この記事を書こうかなと思ったきっかけは、今ポケモン最新作のソードシールドで遊んでますが、ソードシールドの発売の裏でPGL(ポケモングローバルリンク)が役割を終えサービス終了することがきっかけです。
なお、以下の情報はある程度調べてから書きましたが、もし間違っていたら直しますので、それ違うと気付いた方はご指摘ください。
あと、全部追うと大変なことになりそうなので、個人的に印象深い出来事を中心に書いていますので、その点は予めご了承ください。
目次
- ローカル通信の時代/ゲームボーイ時代
- ポケモン映画とのコラボ/リメイク/ゲームボーイアドバンス時代
- 映画館のスクリーンからのポケモン配布/インターネット対戦/ニンテンドーDS時代
- サブスクリプション/データ共有/ニンテンドー3DS時代
- そして時代はSwitchへ/まとめ
ローカル通信の時代/ゲームボーイ時代
ポケモンがはじまったのは、1996年に赤・緑・青・ピカチュウがゲームボーイで発売されたことがスタートでした。
厳密にいうと4つ同時ではないですが、同じ年ということでひとくくりにします。
この当時、ポケモンはゲームボーイの機能の一つの通信ケーブルを利用したデータ交換で、ポケモンを交換できるということが大きな特徴として有名にになりました。
通信ケーブルを使ってなにかするゲームというのが当時あまりなくて、かなり新鮮な仕組みを持ったゲームだったなという印象があります。
当時僕は中学生だったので、最先端の小学生ほどポケモンにのめり込んではいなく、話題になっているゲームだしとりあえずやってみようかなくらいの感じでやってました。
そして、周りにはポケモンをする人も少なく、必然的にぼっちユーザーなため、図鑑をコンプすることもできない感じでした。
通信進化するポケモン集めるのも大変だったし、一人で2台使ってコンプするほどの熱量もなかったので、通常のぼっちユーザーな感じでプレイしていた記憶があります。
また、当時はインターネットも一般的ではなく、ポケモンに関する情報の情報源はコロコロコミックや小学生間の口コミがメインだったような記憶があります。
そんな時代から数年後の1999年には、ゲームボーイカラーから金・銀・クリスタルが発売されます。
当時の時点でポケモン人気はかなり高く、話題のポケモンの最新作が最新機のゲームボーイカラーで登場したというイメージが強く残っています。
伝説ポケモンのホウオウやルギアが色がついたグラフィックで画面内に映る様子は、当時はかなりのインパクトがありました。
今から見たら別にすごくもないですが、当時緑の液晶画面でしかなかったゲームボーイユーザーからすると「色がついた」というだけですごく先進的なイメージでした。
ゲームボーイの時代でも、ポケモンは常に時代の最先端を行っていた事、話題性を作ることを意識していた事がわかります。
ポケモン映画とのコラボ/リメイク/ゲームボーイアドバンス時代
更に時代は進み、2002年にはゲームボーイアドバンスで、ルビー・サファイア・エメラルドが発売されます。
第3世代のポケモンは、またしても新しいハードで発売されています。
僕はゲームボーイアドバイスを別のゲームの影響(本筋とは離れるので詳しく書かないけど、タクティクスオウガのために2台買いました。)で2台持ちしており、せっかく2台あるからポケモン交換できる友達もいないし、一人で通信交換と進化で図鑑コンプできるということでルビーとサファイアを買い、ついに単独で図鑑コンプをするというぼっちユーザーのあるべき姿になりました。
ルビサファの印象はその部分が強いのですが、ゲームとしてみたときにも過去作にはない取り組みが行われていました。
それが、ポケモン映画とのコラボで、映画前売り券を買うとジラーチがプレゼントされるというもの。
これは面白い取り組みだぞと思い、映画を見た記憶があります。
この時点で、リアルイベントなどでポケモンを配布することや、映画前売り券の販売促進の一環ではありますが、日常生活とポケモンをリンクさせる取り組みが行われていたことがわかります。
そして、2年後の2004年には、ゲームボーイアドバンスで、赤緑のリメイク作品のファイアレッド・リーフグリーンも発売されます。
この作品の立ち位置として、過去作ポケモンをルビサファに移動させることがハードの関係上かなり難しくなってきたので、これまでのポケモンを全て使えるようにするためにかなり大きな意味があったと思っています。
そして、このリメイクという手法により、当時ポケモンをプレイしていた小学生は20前後になり、ある程度金銭的な自由度も上がっているので懐かしさを覚えつつプレイするというユーザー層も増えてきたと思っています。
この時点で、ポケモンが多くの世代で愛されるための土台ができたような気もします。
映画館のスクリーンからのポケモン配布/インターネット対戦/ニンテンドーDS時代
更に時代は進み、2006年には当時の最新ハードのニンテンドーDSで、ダイヤモンド・パール・プラチナが発売されます。
ポケモンの新作は、またしても新しいハードで発売されています。
ハードが変わるたびに、ポケモンもそのハードで展開していくということがよく分かるエピソードじゃないかなと思うわけですが、ダイパ時代からポケモンには画期的な変化が訪れます。
それは、DSの赤外線通信機能を利用した、映画館からダークライを受け取れるという取り組みです。
ハードの特性を利用して、コンテンツに活用するというのことがどういうことなのかがよく分かる事例で、ポケモンというコンテンツとDSというハードがあったからこそできた素晴らしい企画だっったと思います。
それまでポケモン交換もポケモンバトルも、通信ケーブルを介して行われていたものが、赤外線通信の機能によりケーブルが不要になりました。
この変化はかなり大きくて、わざわざケーブルを持ち運ばなくていいことも大きいですし、より手軽にプレイできるようになったことは大きな変化でした。
この年、はじめてポケモンワールドチャンピオンシップス日本代表決定大会(WCS)にリアルで参加。以降できる限り日程を合わせて参加するようにしていますw
そして、僕自身もこの頃からポケモンバトルに本格的にのめり込みはじめます。
これまでは、ポケモン友達もいなかったので、ポケモンバトルを行う事自体のハードルが高かったんですが、赤外線機能で手軽にバトルができるようになったからか、全国各地でポケモンバトルの大会が開かれるようになっており、気軽に参加できる環境が整っていました。
当時はポケセンにもよく通っていて、そこでバトルもできたので、すごくのめり込んでいった記憶があります。
そして、当時Wiiで発売されたポケモンバトルレボリューション(PBR)の影響もかなり大きかったです。
PBRは、全国のユーザーとポケモンバトルを楽しむことができるソフトで、ダイパで育成したポケモン使って、PBRでバトルすることができたので、対人対戦の面白さが更に深まったと思います。
と同時に、世界中のポケモンユーザーとバトルを行えるようになったというのが素晴らしいです。
それまで、言語の違う人達とポケモンバトルをすることができるとか考えても見ませんでしたが、この頃からそれは普通にできることになりました。
これは僕のような基本ぼっちのユーザーにとってはかなり大きな変化です。
そして、インターネットはすでに一般に普及し、僕もどっぷりネットユーザーになっていたので、ポケモン育成に関する知識も簡単に手に入れることができたというのも大きかったです。
いろいろな環境が便利になり、楽しみの幅が広がった感じがします。
この頃はリアルイベントも盛んでポケモンスタンプラリーとかもやってました。
2009年には、ニンテンドーDSから金銀のリメイク作品のハートゴールド・ソウルシルバーが発売され、第2世代のポケモン育成やPBRでのバトルなどでポケモンバトルの奥深さが更に深まったと思いました。
翌年の2010年には、ニンテンドーDSでブラック・ホワイトが発売されます。
ブラック・ホワイトは新しいハードでの発売ではありませんでしたが、この時代にはハードでの発売を上回る大きなポイントがありました。
それは、前述の終了するサービスであるポケモングローバルリンク(PGL)のサービススタートです。
PBLはポケモンユーザーからするとかなり大きなインパクトがあったサービスで、PBLの開始により、ついにインターネット大会が開催されるようになったんです。
これはかなり大きな変化で、ポケモンの大会はこれまで主要都市で開催されてきましたが、インターネット大会であれば地方に住んでいても大会に参加できますし、期間中の好きな時間にバトルができるというのも楽しみ方の変化としては大きかったです。
そして、データが蓄積されるので、使用率の高いポケモンや技の使用ランキングなども公開され、ポケモンバトルのトレンドをデータという側面で体感できるようになったのもかなり大きな変化でした。
よく使われるポケモンへの対策のとり方もわかりやすくなり、その対策の対策をする人も増えたりすることで、ポケモンバトルの奥深さはさらにレベルの高いものになっていきました。
ソウルシルバーに色違いライコウを迎えたときの写真。ピンクのDSが懐かしさMAX
2012年にはニンテンドーDSでブラック2・ホワイト2が発売されますが、ブラック・ホワイトの流れを更に加速させるようにポケモンの楽しみ方が広がったように感じました。
ブラック2・ホワイト2はあまりインパクトがないように思われがちですが、ブラック・ホワイトで築いたベースを洗練させ、より多くの人に楽しめるようにメジャー化した重要な作品という位置づけで僕は見ています。
サブスクリプション/データ共有/ニンテンドー3DS時代
ブラック2・ホワイト2発売の翌年の2013年に当時の最新ハードのニンテンドー3DSからX・Yが発売されます。
ブラック2・ホワイト2からわずか1年で、しかも最新ハードでの発売。
ポケモンはさすがだなと言わざるをえません。
そして、最新ハードに合わせて発表されたということは、何かしら大きな動きもあるということです。
当時は2013年で、まだ世の中になかったけど2019年の今ではメインの流れになっているある取り組みをポケモンはこの当時からはじめます。
それがポケモンのサブスクリプションサービスの「ポケモンバンク」です。
ポケモンバンクは、年間500円で自分の持っているポケモンを預ける事ができるサービスです。
名前の通りポケモンを預ける銀行のようなサービスで、ソフトに入り切らない数のポケモンを預けることができたので、ポケモンユーザーにはなくてはならないサービスです。
当然僕もポケモンバンクを使っています。
ポケモンバンクの素晴らしいところは、ポケモンの移動の際にも非常に便利に使えるということです。
これまで、ポケモンを別のソフトに移す場合、ソフト間でのポケモン交換が必須でした。
しかし、ポケモンバンクはソフトに直接ポケモンを移動させることができるので、ポケモンデータの共有基盤としても使うことができます。
そして、ソフトによって対応していないものもありましたが、ポケモンリムーバーなどの変換ソフトを提供することで、過去作のポケモンも全てポケモンバンクに集めることができるようになったという点も大きいです。
ポケモンデータを一括管理できるというのはこれまでにないサービスだったんですが、ポケモンバンクの登場で時代が確実に変わりました。
あと、XYではその後のポケモンバトルに多大な影響を与えるメガシンカが初登場します。
メガシンカは賛否両論ありますが、メガシンカが始まったことでポケモンバトルの環境は大きく変わり、ポケモンバトルがより奥深い味わいになったことは間違いないかと思います。
2014年には、ニンテンドー3DSでオメガルビー・アルファサファイアが発売されます。
オメガルビー・アルファサファイアはルビー・サファイアのリメイク作品ですが、ルビサファはゲームボーイアドバンスだったので、第3世代のポケモンをXYに持ってくるのはけっこう大変でした。その点をカバーする意味でもオメガルビー・アルファサファイアの意味は大きく、また、ルビサファをしていなかったユーザーにも3DSでプレイできるようになることで多くのユーザーが遊ぶことができるようになったのも大きいです。
最先端を追いつつ、これまでのユーザーにも、過去作にふれる機会がなかったユーザーにも、その時々で一番遊びやすい環境でリメイク作品は発売されるので、こういうタイミングを逃さないところが素晴らしいなと思います。
オメガルビー・アルファサファイアではメガシンカじゃなくゲンシカイキしたグラードンw
2016年にはニンテンドー3DSでサン・ムーンが、2017年にはニンテンドー3DSでウルトラサン・ウルトラムーンが発売されます。
サン・ムーンのシリーズでは、ジムバトルが廃止になりZワザが採用されました。
Zワザとメガシンカが併用されるサン・ムーンからの対戦環境はより高度な戦略が必要になり、読み合いの難しさは過去作よりもかなり難易度が上がったように思いました。
サン・ムーン以降のポケモン界隈は世界大会やインターネット大会などが頻繁に開催され、更に多くのユーザーがポケモンを楽しむ環境になっていったと思っています。
ウルトラサン・ウルトラムーンのバトルツリーにて
そして時代はSwitchへ/まとめ
そして時代はさらにすすみ、2018年に最新ハードのNintendo Switchで初代赤緑の再リメイク作品の「Let’s Go! ピカチュウ・Let’s Go! イーブイ」が発売されます。
この当時はポケモンGOのブームから少し時間がたったころで、ポケモンGOを通じてポケモンの世界に触れることになった新しいユーザーでも楽しめるように過去作に比べれば難易度が低く、より多くの人に楽しめるポケモンゲームという立ち位置で「Let’s Go! ピカチュウ・Let’s Go! イーブイ」が出てきたと思います。
過去にポケウォーカーというポケモンを持ち運べる周辺機器がありましたが、Switchではその進化系とも言えるコントローラー一体型の周辺機器のモンスターボールプラスも発売され、ポケモンGOとも連動したり、ポケモンを連れ歩けたりという機能でポケモンと同じ時間を過ごす機会も増えました。
そして現在、2019年にはNintendo Switchからソード・シールドが発売。
メガシンカやZワザは廃止になりましたが、新たなバトルシステムのダイマックスの登場でポケモンユーザーに新しい遊び方を体感させてくれています。
ポケモンが発売され20年、ゲームボーイの緑液晶のドットから比べると信じられないくらいにきれいになったグラフィック、当時151体しかいなかったポケモンも現在では890体。
ポケモンの数もポケモンを取り巻く環境も激変しています。
ゲームソフトなので、ゲームのハードの変化やユーザーのプレイスタイルの変化など、ポケモンを取り巻く環境は数年で一変するほど大きく変化していますが、ポケモンを見ているとその次代その次代で確実に変化していて、時代の流れに乗るだけでなく時代を作る提案もしてきたからこそ、今もこうやって人気のコンテンツになっているのではないかと思うのです。
ビジネス的な視点で見ても、ポケモンのこれまでの動気というのは非常に面白いと思いますし、参考にもなると思います。
現状維持ではなく、常に先を見て行動していく姿勢を見習いたいと思います。