厨二病を否定するこんな世の中じゃPOISON
Publish2016/02/02(火)
今日は某タレントさんの歌のタイトルをもじった件名にしていますが、内容的には今の日本ってこれでいいのか?というような真面目な内容です。
出る杭が打たれる環境ってどうなん?
この手の話題は何度も出てきているかと思いますが、日本は基本的に「出る杭は打たれる」環境です。
「打たれてさらに強くなる杭」のタイプの人の場合はいいですけど、たぶん世の中のほとんどの人はそっち側ではないはずです。
何かしようとした時に、「でもこれやったら周りから非難される」というような感覚って日本に住んでいる人には少なからずあるんじゃないでしょうか。
少なくとも僕にはあります。
海外に生まれたわけでも、海外で生活したわけでもないのであまり実感ないですが、海外での生活経験がある人の多くが日本の特殊性というか排他的な面を取り上げていることを考えると、全体的に日本はそういう傾向が強いっていうことでしょう。
僕は別にその部分を海外みたいにしたらいいと思っているわけではないですが、要するに世界の中でも日本はそういう傾向が強いということを僕たち自身が自覚する必要はあると思っています。
さて、少し話が逸れましたので元に戻します。
「出る杭が打たれてるな」ととあるタイミングで目にしてそれが嫌だったのでこうして今記事を書いているわけですが、そのとき同時に「これってあれとすごく似てるな」と思ったのが今回の記事のタイトルの「厨二病」という言葉に関連するあれこれです。
厨二病かよwwwという思考の危険性
まず前提として言っておきますが、僕は「厨二病」という言葉が好きではありません。
それはなぜかというと、「厨二病」と人をカテゴライズしたり、その人をそういう風にフィルタをかけることによって、見下したり馬鹿にしたりしている風になるからです。
最初は「少し馬鹿だな」くらいに行っているつもりでも、そのうちその感情は「あいつって馬鹿だな」という感じに変わり、「厨二病のやつが何言っても説得力ないしw」な感じに変わります。
この時点で明らかに相手を見下してますよね。
だから嫌いなんです。
そして、嫌いだなと思うのと同時に、そうやってその言葉を言っているうちにその人自身がつまらない人間に成り下がっていく様子も嫌なんですよね。
基本的に人を馬鹿にして喜んでいるような人が好きではないですが、そのきっかけが「厨二病」という言葉を使い出すことがきっかけの一つになるんじゃないかなと思っているので、「厨二病」という言葉を使うことも、その思考も非常に危険だと思うわけです。
小さくまとまってしまっているから、そこから先の伸び代がないんじゃないかなと思う。
そして、一番強く思うのが「厨二病」という言葉を使う事によって自分の天井を作るという部分です。
僕の好きな漫画にシャーマンキングという作品があるんですが、その中で主人公の麻倉葉のお父さんの麻倉幹久がこんなことを言っています。
僕らには見えてしまうんだよ自分の天井が。大人になるとある日ふと誰もが気付くんだ。頭上にせまっている自分の限界とも言うべき天井の存在にね。そしてそれは歳をとるにつれ近づいて、シミや、汚れがわかるほどますますハッキリとしてくる。
この言葉は、大人になる事によって自分の限界を感じてしまい、それが自分の成長限界を決めてしまうという話なんですけど、この天井が見える状態というのは「厨二病」という言葉を使うことで早くその限界に到達する危険な言葉だと思うんです。
「これがかっこいいな」と思うことを「厨二病」と自分で否定していては、自分の可能性を否定することと同じです。
自分の可能性を否定して、小さくまとまってしまうとそこから先の部分は見えないですし、大して面白くもない状態にしかなれないということです。
「厨二病」と判断せず、これはかっこいいと自分で楽しんでそこから先の成長を見たいと思うんです。
簡単に言うと自分の成長を阻害する要素が「厨二病」という言葉だと思っています。
このブログを読んでいる人は知っているかと思いますが、僕は仮面ライダーが好きです。
仮面ライダーの設定には「厨二病」のようなものがたくさんありますが、その設定を「厨二病」と思って作っていたら仮面ライダーは多分つまらない作品になっていると思うんです。
仮面ライダーが毎年新しい発想で面白い案を出していくのは「仮面ライダーはこうあるべき」のような硬い発想ではなく、「もっと面白くなるためにはどうすればいいか」という可能性を常に考え続けているからだと思います。
「厨二病」のようなつまらない基準は持ってないということです。
ということで、「厨二病」とか僕は使わないですし、今使っている人もその考えってはたしてどうなんだろうと考えるきっかけになってくれれば幸いです。