無駄の美学
Publish2011/03/24(木)
今日は仕事にもある意味通じる僕の中での「ある考え方」の話をしようと思います。
それが「無駄の美学」という考え方です。
無駄と感じる事こそが真実に到達する道なのではないかという仮説
仕事をする上で大切な考え方に業務効率の改善があります。
これは、効率的に生産性の高い状態を維持していく事が、生産される成果物の総量を増大させるための考え方で。
より多くの仕事をしていくという上で、時間効率を考えることは非常に重要で、僕もこの考え方が好きです。
ですが、その一方で僕は無駄な部分をとても大切にしたいとも考えています。
例えば、サイトのデザインをする場合とか特にそうなんですが、効率性だけを重視して作ったものと、寄り道しながら色々ああでもないこうでもないと考えながら作ったものがあった場合、多くの場合で後者のほうが自分の満足度が高い場合が多いです。
そして自分の満足度が高いと、高い確率でお客さんの満足度も高い状態である事に繋がります。
これは、デザイン時に一般的に考えたら「無駄」と思われがちな思考を重ねる事により、より幅広い視点で問題解決を出来るデザインを表現する結果なのではないかと思うわけです。
実際には、問題に対する解決のアプローチの模索をしているので無駄ではないんですが、時間効率で考えたら無駄に見えるという意味での例です。
僕は普段から「無駄」と思える事にも意識を持つように心がけるようにしています。
無駄だと思えることの中に「本質」があると思っています。
あえて無駄な時間を作り、心を固定概念から開放する
デザインに詰まった時で考えると、甘いものや美味しいものを食べに行ってみたり、家族と触れ合って心を安らかにしたりすると、これまで思いつかなかったアイデアが出ることがあります。
これはやはり効率化だけを追求していてもでてこない事なんじゃないかなって考えています。
あえて無駄と思える事を行い、自分の脳のどこかにある発想を引き出すと考えると分かりやすいかなと思います。
心に余裕が生まれることで、これまで経験した心の中の「引き出し」が活用できると思います。
また、一見無駄だと思えることの中から、将来に役立つノウハウや、新しいアイデアのヒントが産まれるとも考えています。
効率的に時間を作って、無駄な事のために時間を費やせるようにもしたいと思います。
僕にとっての無駄は「心をリラックスさせて自然な状態でほんわか生きている状態」なイメージです。
仕事においても無駄が大切という事を常に頭においておくことが大切だと思っています。
僕は基本的なスタンスとして「楽しくサイトに関わろう」という考え方なので、無駄は「楽しさ」に繋がるとても重要なものとして位置づけています。
人生における無駄がないと思えるからこそ、いろいろな経験を重ねる
色々と書きましたが、最終的に僕個人としては「人生で無駄なことはない」と考えています。
前述の美味しいものを食べる、甘いものを食べるという行為も人によっては無駄と感じる場合もあります。
でも、美味しいものを食べるという行為は人が生きていく上で必要な食物の摂取という作業を「楽しみ」に変える行為であり、それを経験することによって初めて理解できる感情や、次にもまた美味しいものを食べたいという欲求の源泉にもなります。
逆に「まずいものを食べた」場合は、無駄に感じる場合も多いと思いますが、逆に考えるとまずいというものがどういうものかを知ることで、美味しいものがより美味しく感じることができます。
要するに考え方次第で、無駄だと思えることは楽しめることになると思うんです。
人生を心豊かに過ごしていくためには、そういう経験をどれだけ積み重ねるかということだと思うんです。
これは人生だけではなく、仕事に対する取り組みにも同じことが言えて、人の心を動かすコンテンツを作るためには、まず自分の心が動くものでなければいけないとも思うんです。
そのためには、いろいろな経験を自分自身が重ねることにほかならないと思います。