理想はもののけ姫の「タタラ場」というのがスッと入ってきたと思った事について
Publish2015/04/08(水)
昨日Facebookでシェアしたこの記事「18時で全員退社、それでも160%の業績を上げ続けるECサイト「北欧、暮らしの道具店」のクラシコムにみる働き方」を読んでいて、「あーそれやわ。ずっと頭の中でふわふわしてたことこれやったわ」と思った事について書こうと思います。
全般的にこの記事に書いてある事は共感できるんですけど、一番共感できる部分が「もののけ姫の「タタラ場」こそが理想の姿」という部分です。
もののけ姫におけるタタラ場とはどういう場所?
もののけ姫を見た人はだいたい分かると思いますが、見てない人向けに説明するとタタラ場というのは、主人公が途中で立ち寄る製鉄によって生計を立てている集落のようなものです。
この時の時代背景としては、人の住むすぐそばの世界に「シシ神」や「モロ」、「乙事主」といった神やそれに準ずる人知を超えた存在が存在している世界です。
タタラ場のリーダーであるエボシ様は、ざっくりいうとそんな世界を「人を中心とした世界」に変えるべくシシ神退治をしているそんな時代です。
そんな時代の中、新しい時代を作るべく「石火矢(現代でいう所の火縄銃のようなもの)」と呼ばれる武器をタタラ場では製造し、その力を使い神殺しを行い、攻めて来るもののけを打ち倒し、また同様に攻めてくる人も退治するという無双状態です。
その当時には世間を掌握している力は刀や槍といった前時代的な武器が主力だったので、新しい力である「石火矢」が驚異的な力になり得ていたという背景もあります。
さて、そんな圧倒的ともいえる力の象徴「石火矢」はどのように作られていたかと言うと、女の人を中心としたグループによって生産されていました。
また、病気によって世間から隔離された人達もエボシ様は囲っており、当時主流であったであろう「男中心の世界」とも一線を画しています。
物語のキーになっているジコ坊の言葉「いやぁまいった。まいった。大侍ももののけも眼中になしか。エボシタタラの女たちのいさましいことよ」というセリフからも分かるように、当時のタタラ場の勢いは飛ぶ鳥を落とす勢いであった事が伺い知れます。
一人でやっている中で感じるもやもやした感情を解決できそう
本題ですが、そのタタラ場の様子を僕は何度ももののけ姫を見る事によって理解していたわけですが、昨日読んだ記事で点と点が繋がったというわけです。
それが何かと言いますと、このブログでも何度となく書いているように僕は基本的に一人で活動しているわけです。
経理面は妻がしてくれているので、完全に一人という事ではないんですが実務面ではほぼ一人な訳です。
それは自分が好きでそうしているので苦ではないんですが、寄る年波には勝てないものでいつまで出来るのかなと日々考えているんですよね。
解決するひとつの方法としては、自分がプレイヤーではなく経営やマネジメント側に映って人を雇用するという方法がありますが、個人的にその方向はよっぽどの事がない限りは進みたくない方向です。
詳しくは書きませんけど。
となると、別の道を模索する他ない訳ですが、その解決のヒントは「タタラ場」にあるなと思ったんです。
件の記事の場合は会社組織を前提とした話ですが、「会社」という枠ではなくてもこういう形で何かできるんじゃないのかと思うわけです。
各個人がそれぞれの役割を果たして成長や発展をしていける集合体というイメージですかね。
タタラ場にはエボシ様というリーダーがいて、それが前提となっている部分があるので会社で考える方がイメージしやすいんですが、必ずしもそうである必要もないわけで、互いが補い合って尊重して生きていける世界というのが自分が生きていたい世界だなと思ったわけです。
書いてたら思ってたより暑苦しくなってきたので、今日はこの辺で。
あと、もののけ姫は僕はかなり好きで何度も見ていて人生に大きな影響を受けている素晴らしい作品ですので、まだ見ていない方はぜひ見てください。
おすすめできます。
もののけ姫関連は過去に記事を書いているので、よかったらこっちもどうぞ。
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