身近な事も満足にできないのに、世界に目を向けても仕方がない
Publish2014/11/25(火)
今これを書いている状況としては、隣で意識の高い大学生がマネージメント論について論じているのですが、その内容がどうにも「海外ではー」「アメリカではー」「それに比べて日本ではー」みたいなことしか言ってないので、どうにももやもやするのでそのへんの事を書いてみようかなと思うのです。
表題としては、以前読んだ「100年に1人の逸材」棚橋弘至のキャリア論にも通ずるものがありますので、こちらを読んでみると府に落ちます。
横で浮ついた話が繰り返されているという想像を働かせて読んでいただけるといいかと思います。
地に足をつけよう
若いというのは瞬発力や行動力があるので、すぐに海外に目を向けたくなるというのはよく分かります。
でも、まずは今自分に出来ることをしっかりとやっていくことが必要だと思います。
上記の記事でも書いてあるように、
僕も新日本プロレスを辞めようと思った時期がありましたよ。チャンピオンになる前の、2004年とか2005年あたりです。自分の実力不足が原因なんですけど、相手を思い通りに動かせなくて、試合も盛り上がらない。これはもう新日本を辞めて米国でプロレスをやろうと思ったんです。でも、ちょっと待てよと。会社の規模から言えば新日本は米国の会社より全然小さい。新日本を変えられない人間が海外に行って通用するかと。じゃあまず新日本をどうにかしてからでも遅くないと思って、現在に至っています。
これが全てだと思うんです。
もちろん環境によって成長するということはあると思うんですが、まずはその為の土俵につく基礎的な力というのは、しがみついくとか意地とかそういう泥臭いところにあると思っています。
やるのはいいけど、まずは自分がその場所でできることを達成してからでも遅くないと考える冷静な判断力を養うことは必要ですよね。
自信を持つことと過大評価は別
そんな事を考えていると、隣の席では話がどんどん大きくなっていっております。
海外にまで意識を向けてる自分はすごいという自信からでしょうが、言葉にも態度にもありありと伝わってきます。
卑屈になる必要もないので自信を持つのは大いに結構ですが、基本的に評価は人がしてくれるものであるということだということを認識する必要があります。
「自分はすごい」といえばいうほど、まわりは冷めていくものでしょう。
評価は下がっていくと考えたほうがいいかと思うので、実際にそう思っていたとしてもそれを表に出さない謙虚さとしたたかさはあったほうがいいと思いますね。
あと、最終的にびっくりしたんですけど、この話をした人は「海外に行ったことがない」らしいんです。
人から聞いたことや自分の想像でそこまで言えてたんやーと思うとそれはそれですごいですけど、やっぱり説得力はないですね。
せめてその言葉の根拠が欲しかったなと思っています。