あまりよく知らないものを知っている風に公開しないようにしよう
Publish2015/01/09(金)
今日は先日見てから「もやっ」としていて、ちょっと自分の中で整理をつけたい事があるので、その事について書きます。
そのもやっとした原因は、この記事です。
カップ麺でラーメン二郎の味を再現してみた
ちょっと話題になったので知っている人もいるかと思います。
ちょっと知っている僕ですら感じる「これじゃない感」
まず最初に断っておきますが、僕はラーメン二郎は2回くらいしか食べた事がありません。
インスパイア系という二郎のようなものであればもう少し増えますが、それでもあんまりよく知らないといっても過言ではないくらいのレベルです。
その僕ですら、この記事を読んで「いやいや、これは絶対に違うってw」とこみ上げてくるものがあります。
まさに「これじゃない感」そのものですね。
たぶんこれを書いた人は1回も食べてないと思うんです。
1回でも食べたら、この記事で見るこの状態が明らかに二郎とは異なるということに気付くはずですし、気付かなければちょっとおかしいです。
スープや麺もちろん全然違うし、シーチキンやゆで卵なんか入ってないしと突っ込みどころ満載です。
これがそういう系の「ネタ」記事であればまあ百歩譲って許せるとしても、この文章全体から感じるのは「ガチ」っぽい感じです。
大真面目にこれを書いているのだとしたら、それはちょっとあまりに酷いんじゃないかと思います。
発信する時には、ある一定レベル以上の確信が必要
まず今回の記事がネタ記事じゃなくて、ガチだった場合として話を進めます。
仮にもこのライターさんはプロとして文章を書いているわけなので、せめて取材はしないといけないんじゃないでしょうか。
二郎を食べまくれとはいいませんが、せめて1回は食べてみるとかはした方がいいように思います。
1回でも食べれば、今回のような記事にはならないと思いますし、何よりしっかりと体験する事で記事自体の信頼性も高まってくると思います。
憶測や思い込みで記事を書いているのであれば、プロとしてはどうなんだろうと思うわけです。
これが普通の人がよくわからないけど書いたというのであれば、まだ許せる範囲かと思いますが、プロとしてお金をもらって書いた原稿であるなら仕事に対する姿勢に疑問を感じざるを得ません。
多くの人が目にするであろうメディア系の記事なのであれば、しっかりと裏付けや取材などをしてほしいと思いますし、プロとして他のライターがいい加減な仕事をしているのを見たら、同じプロとしてどう思うのかというのは考えないといけないのではないでしょうか。
これが他の一般的なラーメンとかであれば、まだそこまで気にする事もないというか解釈の違いで済むかもしれませんが、二郎くらい熱心なファンがいるものに対してここまで適当にされちゃうと熱心なファンからすると馬鹿にされたような気分にもなると思います。
僕が自分が好きな仮面ライダーの設定をどこかで適当に書いてる記事とか見たらめちゃくちゃ頭にくるだろうというのは容易に想像がつきます。
やはり公の場所に何かを公開するという場合は、しっかりとした確信というか、裏付けや取材などが必要だと思います。
信頼できる情報を出すようにしないと世界はどんどん荒みます。
一番いいのは、そこに愛があるという事だと思うんですが、今回の場合であれば二郎の事を愛してやまない人が本当にカップラーメンで二郎と呼んでふさわしいラーメンにする事ができるか?というような内容であればまた違った形で興味深い記事になったのではないかなと思います。
今回は非常に分かりやすい例でしたが、僕もブログで情報を公開する時には自分が納得できるレベルくらいには検証や調査をしてから公開するようにしています。
風説の流布にならないように、今後も「適当にしったかぶって公開しちゃう」という事がないように心がけていきたいと思います。