映画『アントニオ猪木をさがして』を見てきて思ったこと
Publish2023/12/02(土)
昨日、アントニオ猪木さんの追悼映画『アントニオ猪木をさがして』を見てきました。
このブログを見ている人は、僕がWWEのファンであることはご存知かと思いますので猪木さんの話をするのは意外のように見えるかも知れません。ですが、一応新日本とかも見て育った世代ではあるので猪木さんのことは注目はしていました。
ガチの新日ファンからすると外様なにわかかからの意見になるかもしれませんが、見て色々思うことがあったので書こうと思います。
なお、ネタバレになるような内容は書かないつもりですが、結果ネタバレのような感じに見えるかもしれませんので、その場合はご容赦くださいませ。
プロレスラーとしてのアントニオ猪木という存在の大きさ
この映画を見て一番感じているのは、プロレスラーのアントニオ猪木という存在の大きさ、存在感のすごさです。
プロレスファンではない一般人でも名前を知っているということがまずすごいということなんですけど、作中で棚橋さんが「プロレスというマイノリティーな存在」という表現をしていて、わかってはいたものの常にプロレスを見続けてきた僕からするとプロレスは大きな存在ですけど、世間一般的にはマイノリティーな存在なんですよね。
そんなマイノリティーな存在であるプロレスを世間に認知させ、良くも悪くも話題を巻き起こし続けたアントニオ猪木という存在は稀有であり、唯一無二な存在だったということを改めて考えさせられる映画だったと思います。
国会議員になったり、戦時中のイラクに渡ったり、キューバでカストロと会談したりといったエピソードとかは、これまでのプロレスラーという常識を完全に飛び越えたものだったわけで、多くの人の心を動かし、影響を与えたのは間違いないわけで、改めてそういう存在だったんだなーということを再認識するだけでも言葉に言い表せない複雑な気持ちになります。
そして、今のプロレス界(世界的にも影響を結構与えているという意味でも)を形作った偉大な先駆者としてのアントニオ猪木さんには尊敬の念しかありません。
改めて考えるプロレスとは何か
少し本筋とそれますが、この映画はプロレスラーのアントニオ猪木の映画なので、当然プロレスの話でもあるわけです。
最近だとある議員さんがプロレス的な云々という発言をしてプチ炎上したりしてましたが、プロレスを好きな人と別にそうでもない人の間には大きな気持ちの隔たりがあり、プロレスとはどういうものかという認識が人によって大きく違うわけです。
個人的には別にそれでいいと思うし、どう感じるのかは人ぞれぞれで自分なりの楽しみ方で見ればそれこそがプロレスらしいと思う方なのでこの件についてあまりどうでもいいかなと思ってたんですけど、この映画の中で藤原組長が自分の起こした事について語るシーンがあり、「普通の人がこんなことしたらクビになるのが普通。自分がそうならなかったというのが結果。そういう意味だよ」というようなことを言われていたのですが、僕のこの言葉こそがまさにプロレスらしい言葉だなと映画を見ていて感じました。
昭和の時代、僕がまだ幼児だった頃のプロレスは今とは違う熱量があり、それから時代を経て今のプロレスに続いているわけですが、その過程で色々な人が色々なものを持ち込んで複雑に絡み合い、変化を続けて今のプロレスになっています。
それをいいと思う人もいれば、そうでもないと思う人もいて、そういうふうな多様性が出てくるのが当然ですよね。
そういうことだと思うんです。
だからプロレスは面白いと思いますね。
猪木さんの生き方、仕事のあり方を考えてみて
映画を見ながら時に笑いがあり、時に感動があり、とても有意義に楽しい時間を過ごせたわけですが、映画を通じて語られる猪木さんの人生をどう見てどう感じる人がいるか、それがその人の人生にどう影響を与えているか、というようなことを考えると猪木さんにとってはプロレスという仕事で世の中に大きな影響を与えたわけで、それが本当にすごいことだと改めて考えるわけです。
世の中には色々な人がいて、それぞれの人生でベストな仕事をしながら世の中の一部として存在していますが、猪木さんのようにその存在から放たれる強烈な存在感やインパクト、人に影響を与える仕事ができる人というのはごく一部です。
それ以外の人がダメということはもちろんなくて、それぞれが素晴らしいと思うのですが、中には猪木さんのように突出した存在感を持つ人がいて、その人が周りに影響を与えていると考えると、色々込み上げてくるものがあります。
猪木さんの試合を通じて元気をもらえたり、何かを踏み出すきっかけになったり、人生そのものが大きく変わったりということがあったであろうことは容易に想像できるので、そういう仕事ができた猪木さんはやはりすごい人だったんだなと、改めて感じました。
このくらいの文章では足りないくらい、いろんなことを考えさせられる映画だったので、見る機会があればぜひ見てもらいたいです。