いってみようやってみよう
Publish2014/09/12(金)
僕がずっと前から気に入っている言葉があります。
それが「いってみようやってみよう」です。
今日はなぜ、この言葉が僕の心を捉えて離さないのかについて考えてみます。
「いってみる」ということ
まずは「いってみよう」の部分から。
これは、自分自身が「まだ足を踏み入れた事のない場所に顔を出す」という意味でとても大切だと思っています。
自分が知っている人や仲のいい人の集まりは居心地がよくて安心できるのですが、そればかりになると少し気分が閉鎖的で排他的になりがちです。
結果、自分の世界を狭める事になってきます。
これはよくないですね。
勇気を出して一歩踏み出す事を続けていけば、新しい世界が開けると思っています。
そのためにも「いってみよう」が重要です。
あとは、行ってみるというのは非常に体力を使います。
どうしても「めんどくさい」と思ってしまう気持ちがでてくるので、その気持ちを律して行動するという事にも意味があると思っています。
「やってみる」ということ
次に「やってみよう」。
これは、いってみただけでは不十分で、そこからさらに一歩踏み込むために「やってみる」事が重要だと考えています。
僕はそんなに頭がよろしい方ではないので、考えるだけではだめで、実感する部分が必要です。
やってみて肌で感じ、その経験を知識と融合させてようやく活用する事ができる感じなんですよね。
その元となるのは、やはり手を動かしてやってみるという部分になるわけです。
例えば、何か物事をしようとするとき、つい経験から「たぶんこれやったらこのくらいの感じでいい事があって、このくらいめんどくさいから、そのメリットとデメリットを比べたらやらん方がいいな」と思ってしまう事があります。
これは、「やってみよう」というモチベーションをなくさせるだけではなく、狭い世界での経験を基準に勝手に判断してしまう事に他なりません。
実際にやってみて初めて気付く事や、その行動からしか経験できない実体験という機会を奪うという事です。
これはいただけませんね。
やってみる事をしなくなるという事は成長する事を放棄しているという事と同義です。
このブログでも書きましたが、僕の大好きなアントニオ猪木さんの「道」というセリフにも「人は、歩む事をやめたとき、挑戦する事を諦めたとき、年老いていくものだと思います。」というセリフがあります。
いつまでも知ったかぶりせずにやり続ける事が、人間としての成長に繋がると、そう信じています。
要は「自分自身が動く」ということ
ということで、「いってみようやってみよう」という僕の好きな言葉を紐解くと、ぬるま湯につからずに勇気を持って未知の場所に行き、そしてまずは手を動かして新しい経験をしようという事です。
頭でっかちにならずに、貪欲に行動しないとだめだよっていう事ですね。
僕自身はゆるく生きていきたいという思いもありますが、ゆるく生きるためには世の中の色々の事を受け止めれる余裕が必要です。
それを「器の大きい人間」と言ったり、「人が出来ている」という事もありますが、それらに共通するのはその人自身が持っている心の余裕の大きさに比例しているのではないでしょうか。
よりゆるく生きるために、さらに色々な事を頑張って知見を増やしていこうと改めて思います。