折り畳み傘派になったことについて
Publish2019/02/08(金)
最近このブログには運用に関することかお知らせしか書いていなかったので、今日は少しゆるめの話題として「傘」について書こうと思います。
けっこう長いこと長傘派だったけど、最近折り畳み傘派になった
普段あまりこういう系の話はしませんが、これまで僕は約40年間ほど傘は長傘を使っていました。
それについては特に理由があるわけではなく、普段接している傘が長傘ばかりだったという理由で、特に信条があるわけでもなく、ただなんとなく「傘といえば長傘」のような思考停止をしていてそういう選択をしていました。
というか、普段から傘についてそこまで考える必要もなかったし、「雨が降ったらその時に考えればええわ」と思っていた部分も大きいです。
折り畳み傘派に変わったきっかけ
これまでずっとそんな感じで過ごしてきて、それで特段不便もなかったんです。
時間はある程度自分が自由にコントロールできるし、そもそも外に出るタイミングや機会もあまりなかったので、それで困るという事態もありませんでした。
でも、今の仕事形態に変えてから決まった時間に動く必要が出てくるようになり、必然的に雨に遭遇する確率が上がりました。
また、駅から降りて目的地につくまで15分ほどかかるので、雨をダッシュで凌ぐ事もできません。
移動中にびしょびしょになることは確定しますので。
電車自体も1時間ほど乗るので、行きであれ帰りであれびしょびしょになるのは避けたい。
そこで、「急に雨に振られた場合の対応策」を考える必要がでてきました。
最初は、立ち寄る複数の箇所に傘を置ける場所を確保して対応すればいいかなと思っていましたが、よく考えるとその場所の確保と置き傘を複数管理するのがだるいなと気付くので、却下となります。
そこでふと思い出したのが、「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」ではないですが「置き傘用意するのがめんどいなら折り畳み傘持ち歩けばいいじゃない」ということ。
今までの人生で折り畳み傘という選択肢をスルーしてきましたが、その選択肢もあったことを思い出し、早速そのスタイルに切り替えました。
折り畳み傘派に変わって感じる生活の変化
切り替えてみると、これが思った以上に快適で心に余裕が出ることを実感します。
まず、雨が急に降ってきても、これまでだと「まじかーあめかーだりー」と心の中で棒読みな感じのめんどくさい感がすごいあったんですけど、今は「あっそう」くらいの感じです。
「別に傘持ってるからそんなんどうでもいいわ」という余裕があるわけですが、この安心感はすごい。
日常生活でのストレスの軽減や感情のアップダウンの少なさは、普段過ごす日常がより快適な環境になるということで、実際にやってみて一番大きい効果は「安心感を得ること」でした。
最近の折り畳み傘は、軽くて大きい物もたくさん発売されており、意外と選択肢も多かったというのもよかったです。
これまで折り畳み傘を導入してこなかった理由の一つに、「毎日こんなん持ち歩くのめんどいわ」という気持ちがありましたが、今はリュックに入れとくだけでいいので常に持ち運んでいる感じはしません。
もっと言えば、僕は常にMacを持ち歩いているので、そもそもリュックが重いため、折り畳み傘くらいの重量が増えたところで大きな変化はありません。
であれば、気軽に安心感を増やすことができる折り畳み傘の存在は、僕にとってはプラスでしかありません。
改めて思う変化と挑戦の意味
今回は折り畳み傘の導入によって変わった心境を書きましたが、今回の僕の傘に対する姿勢でもわかるように、人は普段無意識で選択している行動があり、その行動が今のままでいいのかというのは、一定期間で見直しておく必要があるなと再確認しました。
特に、生活環境が変わる、生活スタイルが変わるといったような変化があった時に、「それまでこうやってきたから、これからもそうやる」というような思い込みは、自分にとってのデメリットを増やすことになるかもしれない危険性をはらんでいます。
変化があるときこそ、常識を疑い柔軟な発想で変えることができるチャンスなのかもしれないということです。
小さな変化でも見逃さず、そのタイミングで最適な手段を選択するということを忘れないようにしないといけないなと改めて思いました。
なお、今は折り畳み傘派ですが、また生活環境が変われば長傘派になるかもしれません。
折り畳み傘にしても長傘にしても、それぞれメリットやデメリットがあり、使うシーンによって最適解は異なるので、今は折り畳み傘派やけど、これからもずっとそうでなければいけないというわけでもないので、そのときどきでどっちがいいのかは常に考えるようにしようと思います。