卵が先か鶏が先か
Publish2014/05/29(木)
今日も思慮をめぐらせる時間(移動時間)があったので、色々と考えていました。
そんな今日の一番考えていた事はタイトルの「卵が先か鶏が先か」という不毛な議論について。
ちょっと思っていた事を書いてみます。たぶんまとまりません。
人はなぜルーツをしりたがるのか
何がきっかけでこの事を考えていたのかはなぜか忘れましたが、卵が先か鶏が先かを知りたがる人は世の中にめちゃくちゃ多いなという事は感じています。
物事に白黒つけたがる感じというか、はっきりさせないとすっきりしないとか色々理由はあると思います。
僕にもそう思う事があるので、きっと人は何かしら起源というかルーツは知っておきたいものなんだろうなと思うんです。
知る事によって何かあるという事もそんなに内容にも思いますが、知る事によって自己満足というか自分の中で納得できるという部分が大きいのではないかと思うのです。
知りたいという欲求は根源的な欲求
そんな事を考えていると、「知りたい」という欲求は欲求の中でも比較的大きいもので、根源的なものではないかと思います。
人は考える動物なので、知識という武器を持ちたいと思うわけですし、もっとたくさんいろんな事を知りたいと思うわけです。
その欲求があるからこそ、一見考えても無駄と思える「卵が先か鶏が先か」について、ああでもないこうでもないと思慮をめぐらせる事ができるのではないでしょうか。
人を動かすものは欲求であるという事実
そして、その「知りたい」という欲求は、人を動かす原動力でもあります。
知りたいからやってみる、知りたいから買ってみるなど、知的好奇心を満たす事が満足感につながるという事があります。
要は、結局何がいいたいのかというと、人を動かす知的好奇心を満足させる事ができるサービスを作ってみたいなと思っていたのでした。
その過程で話がどんどんそれてこうなったというお話でした。