しない善よりする偽善。一日一善をできる範囲でやっています。
Publish2024/09/10(火)
最近は自分の考えとかをあまり表に出していなかったので、久々に最近自分の中で意識的に行なっている「より人でありたい」プロジェクトの活動報告をします。
タイトルで全て言えてるそこまで深い内容でもないので、気になる人だけ見てください。
人からいい人そうと思われていることが多いのではと思っている
まず、この考え方を書く前に、僕自身の問題点というか傾向が大きく影響しているので、それについて触れておかなければいけないと思っています。
僕のことをご存知の方であれば、なるほどなと思われると思いますが、僕は基本的に人と会っている時には笑顔っぽい感じになっていることが多いです。
理由としては、実際のところあまり人付き合いが上手くないので、とりあえず笑顔っぽい感じにしておけば悪い印象は与えることもないかなという打算からきています。
笑顔っぽいというのも、本当の笑顔でもないし、作り笑顔でもないけど、その中間くらいのうっすら微妙なちょっと不自然な笑顔という自認です。
で、この笑顔っぽい感じで接していると、いい人そうと思われることが多いようで、つけ込んできたり利用しようとする人に出くわすことがこれまで結構ありました。
僕自身は笑顔っぽい感じで接しているという自覚があるので、そういうことがあるたびに「またこのパターンか」とうんざりすることもあるのですが、それ自体は許容というか諦めということでもないのですが、「そういう感じにしてたらそうなるのも当然な部分はあるよね」とも思っているわけです。
で、ここからが重要なんですけど、人からいい人と見られること自体は嫌いではないということを最近特に意識するようになってきました。
前まではネガティブなことの方が比重として大きかったのですが、一定の閾値を越えたのかもしれないです。
最近では「それならもっと実際にいい人」であれば良いのでは?と思うようになってきました。
いい人でありたいと思っている
そこで、今回のタイトルに行き着くわけです。
これまで、いい人っぽい感じを出していたけど、実際にいいことをしているわけではなくて、どちらかというと人との距離感を調整するためにいい人っぽい感じを出していましたが、これからは実際にいい人でいたいなと思うので、そのためにまず自分のできる範囲で、良いことをしていい人に近づいていこうと思っています。
その一歩として、「一日一善」をできる限りしようとしています。
この一日一善は、本当にすごく小さいことでもいいと思っているので、例えば自転車で移動している時に、前から来る子供や高齢者に道を譲ったり、自分が道路側に行くようにしたりとかするとかでもいいと思っています。
電車やバスで移動する時に、妊婦の人や高齢者の人がいれば席を譲ったりもしますし、困っている人から声をかけられたらできる範囲で親切に悩みを解決する手助けをしたりとかも、できる範囲でというのはもちろんありますが、意識的にするようにしています。
(完全に余談ですが、僕は結構な頻度で人から道を聞かれたりするということがあります。)
もちろん、しようと思ったけどタイミング的に微妙な感じになってできなかったこととかも結構あるので、全然積極的ということでもないのですが、自分のできる範囲でいいので少しがんばる感じで日々過ごしています。
これから先は今までよりもさらにこの考え方を大切にしていきたい
現状はできる範囲でしてきていますが、これから先はもっと意識的にやって行った方がいいなと思っっています。
その理由としては、自分自身の加齢によって今後人に迷惑をかける回数が増えてきそうなのをひしひしと感じているからです。
今後迷惑をかけるのであれば、その前に自分のできる範囲で前払いで恩返しをしておけばいいのではというような、保険的な意味合いです。
それをしたから今後オッケーということでももちろんないんですけど、自分の中ではこれから先の「人へのありがとう」という気持ちを、今の「人からのありがとう」という気持ちでの交換をすることで、納得というか気持ちに折り合いが付く部分もあると思うので、そういう自分の中で納得できる環境を作っていくことも大切なことだと思っています。
ここまで書いたことからもわかるように、この辺の考え方とかは善というよりも確実に偽善ですし、自己満足以外の何者でもないんですよね。
でも、自分の自己満足のためにやったことが、人にとってもいいことにつながることがあるのであれば、それは別に偽善でも問題ないと思うんです。
ということで、今後も自己満足のため、自分が納得できる自分であるために、できる限りのいいことを積み重ねていこうと思います。