バランス感覚が重要です。
Publish2015/05/25(月)
今日は過去の経験から得られた事をふと思い出したのでその事について。
最近仕事の内容が偏ってきているなと感じてまして、うーんどうしたものかなと思い悩んでいたのですが、そう思うのは自分がバランス偏重思考であるが故だという事を思い出したんです。
それで、なぜそう考えるようになったのかを考えると、過去に経験していた事が理由にあるかもって考えたわけです。
バランス感覚が重要である事は変わりませんが、その感覚自体のバランスもとらないといけないよねと思った感じです。
作業効率と作業品質
さて、その昔の経験ですが、以前このブログでも書いたように僕は過去に1年半ほど魚市場で働いていました。
その当時はWebを趣味では作っていましたが、メインは魚市場で、毎日魚を運んだり2トントラックを運転したりしていました。
今考えるとよくやってたなと思いますが、当時は当時でそういう環境がある程度気に入ってはいて居心地もよかった(いらない事を何も考えなくてよいという意味で)し、毎日魚をもらえて健康的な生活(時間が普通の生活とは逆転している以外)を送れるし、年末年始にもらえる贈答品とかは当時の生活水準では手が出ないくらい豪華なものをいただいてましたし、考えるとけっこう充実してました。
ちょっと話がそれましたが、要はそういう生活をしていた時期の仕事は「いかに効率よく魚を配達し、仕事をさっさと終わらせて早く家に帰るか」という考えの元に仕事をこなしていたわけです。
これは、少しでも仕事の配分を間違えるとしんどいし次の日やその後の体調に大きく響くので、自分の体調管理という面でも仕事の質を保つという意味でも一番重視して考えなければいけない問題でした。
仕事を早く回して効率化を考え、かつ怪我をしては元も子もないので無理はしないようにコントロールするという事が重要なわけです。
そう考えると、無理をある程度しつつ無理しすぎないバランス感覚が重要になってきます。
効率化を考えつつも、休めるところではしっかり休んで緩急を付けることが長期間高い作業品質を維持する事に繋がります。
当時はそこまで理論立てて考えてませんでしたけど、肌感覚でそれをしてました。
魚市場で使っていた「でっち」
そのひとつの例として魚市場で使っていた「でっち」という道具の使い方があります。
でっちは、普段の生活では見慣れないものなのでどういうものかを説明しますと、魚の入った発砲スチロールなどの容器を詰んで手で運ぶ台車です。
ちょっと分かりにくいので、イラストを作りました。
タイヤは左右に2個ついてて、前にある茶色いグリップを持ち上げて引いて使います。
反対向きに押して使う事もありますが、そっている部分の先は金属なので、人とかにぶつかると怪我の元です。
なので、基本はこのスタイルです。
このでっちが木と金属で出来ていて、けっこう重いんです。
まあ考えたら分かりますが、重たい荷物を運んでもびくともしない作りになっている必要があるわけですし。
そのでっちですが、実はやり方によってはすごく軽くもなるし重くなったりもします。
これはてこの原理で考えると分かりやすいですが、タイヤの上部部分が支点で、持ち手が力点、後ろの金属部分が作用点です。
ここにかける重さを調節する事で重くもなるし軽くもなります。
同じ10個の荷物を運ぶ場合でいい例と悪い例を説明します。
悪い例だとこんな感じで、持ち手に近い方に荷物が固まります。
これだとかなり重いので、持つ人の筋力が必要ですし、何より疲れます。
よい例の場合は以下のような感じで、荷物が後ろの方に固まった様態です。
過去の経験上この積み方が一番安全かつ、軽くなるバランスです。
ポイントとしては最後部の部分の荷物は斜めにする事。
でっちは持ち上げて使うので、斜めにしていても運ぶ時の確度さえ把握していたら斜めにしていても運ぶ際には水平になります。
また、斜めの部分とそうでない部分の接触面で摩擦力が上がるので、ずれにくく揺れに強い構造になります。
安定化と軽さの両立のいいバランスが取れている状態です。
ただし、このよい方の積み方も全ての場合でこれが正解という事ではありません。
後ろに重りをまとめると軽くはなりますが、その分ひっくり返りやすくなります。
初心者がよくバランスを間違えてひっくり返したりしますが、この原因は軽くしようとするあまり後ろに重さを置きすぎるという事が原因です。
また、単純に重さだけを考えるだけではなく、その時に運ぶ魚の種類によっては箱の形やが重さが均一ではなく、また、何件も持っていく先がある場合は回る順番なども考慮して積む順番を考える必要があります。
重さと作業効率、巡回ルートにあった最適解をその場で判断して積むという事が必要です。
お店によって違うと思いますが、僕の場合は売り子さんが売ったその場で配達を指示するスタイルだったので、本当にその瞬間の判断で積込みルートと配達効率を考えないといけませんでした。
お客さんを待たせるとクレームにもなりますし、一瞬一瞬の判断力が必要です。
もちろん市場に来るお客さんは毎日だいたい決まった時間に買いにくるものなので(これは仕入れる魚の種類と量、価格によって買い手の行動が異なるからです。詳しくは省きますが色々理由があります。)、慣れてきたら店先の様子であらかじめルートを考える事は出来るようになってきます。
お客さんが買う種類と量と時間はだいたい決まってるので覚えたら楽です。
この辺も効率化が出来るポイントでした。
単純労働でも、考えると考えないのとでは雲底の差
といった感じで、単に「市場内で魚を運ぶ」という単純労働でも、考えてするのとしないのとでは大きな違いがでてきます。
前に書いたように、市場で働く年代層は主に40代くらいが主力でしたので(当時はです。今は知りません。)、肉体的に無理が出来る人も多くなく、効率面を重視する人が多かったです。
もちろん何も考えてない人もかなりの数いましたし、そもそも仕事をいかにずるく休むかに命をかけている様な人もいましたけど。
色々な事情を抱えた人が働く環境だったので、みんなそれなりに寛容ではありましたが、仕事に対してはけっこう殺伐としてましたし、緊張感はありました。
こんな経験が何の役に立つのかとか考えながらしてたら楽しくないですが、でっちに上手く詰めた時の自己満足感はすごくよかったです。
考えてみたらかなり不毛な時代だったようには思いますが、こう考えると瞬時の判断力を養う上ではいい経験だったなと思います。
ここで学んだ効率化と効率化だけを求めないバランス感覚が、最近思い悩んでいたバランス偏重思考のルーツです。