決め付けと思考停止に繋がる「であるべき」という考え方をしないようにしています
Publish2011/03/23(水)
今回は、僕の考え方の根本の一つになっている「であるべき」という風に考えないようにしていることについて書きます。
なぜ「であるべき」と考えないようにしているか
まず、なぜそのように考えているのかといいますと、以前に知り合いのとある方のブログを見てから色々考えるようになったのがきっかけです。
そのブログでは、「であるべき」という考え方を、その人なりにそれは違うんじゃないかという趣旨の事が書かれていました。
それを読んだときに、僕は自分が知らず知らずに「であるべき」という考え方をしているという事に気付きました。
しかもそれが正しい事だと無意識に思っていた節もあります。
この考え方は、時に道を切り開く原動力にもなりますし、思い込む事で強力な推進力を生み出すもとでもあると思います。
ですが、その力は人を傷つける力にも変わるのではないかという事を思うようになりました。
「であるべき」という考え方が悪いほうに力が働く例
例えば、こういう状況があった場合はどうだろうと考えてみます。
とあるサイトをリニューアルするにあたって、Aさんをリーダーとしたチームでミーティングをしていたとします。
ここで、リーダーであるAさんは、自分が理想とするサイトのイメージが決まっており、そのイメージこそがそのサイトの「あるべき形」であると信じて疑っていないとします。
このミーティングの中で、Aさんが進めている案だと、少し本来の求めている結果にブレが生じる可能性がある事にBさんが気付きました。
Bさんは、その可能性を解決する必要があると思い、ミーティングでAさんの進めている案の改善策を提案しました。
しかし、Aさんはその提案を突っぱねます。
なぜなら、Aさんは自分が進めている案こそがサイトの「あるべき形」であると信じて疑っていないからです。
そのため、ミーティングでBさんの提案が通る事もなく、終了後には賛同しないBさんに対して「あいつの考え方は間違っている!」とAさんが感じている状態になりました。
この時のお互いの心理状態を考えてみます。
まず、Aさんとしては自分が正しいのだから、その考えを理解できないBさんが「無能で使えない頭の固いやつ」という風にまで悪いイメージでBさんを見てしまう可能性があります。
「自分は絶対に正しい」と思っている人が、その意見に反対する意見を前にしても、それはその出来事を理解できない相手が間違っているという思考になるためです。
次に、Bさんからすると、自分の意見を曲げない(Bさんの意見に耳も貸そうとしない)Aさんの態度は不信感が残ります。
何を言っても聞かないのであれば、もう何も言うまいと思うのが人間の心情ではないでしょうか。
だれもそんな無駄な労力をしてまで付き合う必要はないと思うんですよね。
Bさんが思う理想の形というのももちろんあるはずなので、その意見が通らないのはある事だとしても、聞くそぶりすら見せないのはリーダーへの不信感だけではなく、チームでやる上でのモチベーションすらなくしてしまうと思います。
こうなると、たとえ最終的に本当にAさんが正しかったとしても、Aさんへの不信感はぬぐわれず、その後の関係は険悪なものになってしまうのではないでしょうか。
この例は結構極端ですが、これに近い状況はいくらでも起こりうると思いませんか?
ここで考えられる一つの正解の形は、AさんがBさんの持つ反対意見に対しても、もっと考えを柔軟にすることでお互いの考えを尊重し、よりよい方向に進めるための話を行うという事はできたのではないかなと思います。
この正解にたどり着けなかった原因を考えると、「であるべき」という考え方への固執、それに伴う思考停止と決め付けに他ならないと思います。
決め付けと思考停止。この原因になっているのが「であるべき」という考え方
上記の例のように、「であるべき」と考えていると、知らないうちに他の選択肢を排除したり、検討する事すらしなくなってきます。
これはまさに決め付けと思考停止になっている状態ですよね。
本来はもっと柔軟に考えなければいけない部分を、「であるべき」という考え方が潰したと捉えても差し支えないかと思います。
このように、決め付ける事で「視野狭窄」になり、思考停止してさらなる正解への模索が行われなくなるという事もあるので、「であるべき」という考え方はしないようにしているという訳です。
これはあくまで僕の思うところなので、必ずしも「であるべき」という考えが悪い事だとは思っていません。
前述したように何かをなす場合は思い込む力・信じる力が大きな原動力である側面もありますので、人によってはなくてはならない考え方の場合もあると思います。
ただ、僕にはあまり合わない考え方だなと思っています。
より柔軟に視野を広く持っていきたいと、常々思っているためでしょうが…。
「であるべき」と考える場合でも、それ以外の選択肢ができたときに頭から否定しない姿勢は必要かと思います。
「であるべき」た本当にちょっとした言葉ですが、この言葉には力があります。
その力に飲み込まれないように、もっと他の可能性はないかという事を常々模索して生きていきたいと思います。